【小説】7時45分

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中学三年生の芳夫は後悔した。

車椅子なんてちっとも楽じゃないではないか。

 

昨年亡くなった祖父が使っていた車椅子を目にして、

歩かなくて済むから、車椅子はもしかしたら移動が楽なのではないか。
友達の前にいきなり車椅子で現れたらウケるんじゃないか。

という気持ちで車椅子を勝手に拝借したのだ。

 

しかし、意外としんどい。
慣れていないので車椅子は思うようには進まず、車輪を腕でずっと回さないといけないので二の腕がぱんぱんだ。


7時45分。


もう友達との約束の時間は迫っている。
8時から始まる花火大会の約束に友達と待ち合わせをしているのだ。

 

芳夫は、背中にじっとりと汗を感じながらも鈍く痛む腕を必死に回した。

 


あれ。ここはどこだ。
道を一本間違えたかもしれない。

 

芳夫の前に見たことがない街並みが広がっていた。
それにもうすぐ花火大会が始まるというのに、どこか街がしんと静かだ。

 

地元なので道に迷うはずもないのだが、慣れない車椅子を必死に転がしていたのと、

友達との約束に遅れてしまうかもしれない。との焦りで道を一本間違えたのだろう。

 

「なんだよ。もう。」

イライラしながらスマホをみた。

 

まだ7時45分。

全然時間が経ってなかった、

 

芳夫はとりあえず元来た道を引き返してみる。

 

一本道をしばらく車椅子を転がすと、突き当りに古そうな木造の大きな家と、その家の前に大きな門があった。

 

まるで城の前にある門だ。
石段が門の前にあり、とても車椅子では入れない。

 

「さっきこんな家なんてあったっけ。」

 

ひとり呟きながら、また道を間違えたのか。とスマホの地図アプリを見ようとする。

 

悪い事は重なるもので、スマホ指紋認証が壊れたのか、何度丸いボタンに指を乗せても、ロック画面からホーム画面に進まないのだ。

 

芳夫は焦りながらスマホの画面の上部に視線を滑らす。

 

7時45分

まだ15分ある。


仕方がないので車椅子で元来た一本道を引き返す。

 

引き返して1分もしないうちに、今度は積み上げられたブロック塀が目の前に広がる。
突き当りだ。

 

「さっきまでこんなもの無かっただろ…」

芳夫は泣きそうになりながらも、また車椅子で一本道を引き返す。

 

30秒も車椅子を転がさないうちに、先程見た大きな木造建築と大きな門が現れる。


大きな門の前で車椅子に座って呆然としていると、和服を来た老人が門の奥で縁側に座ってこっちを見ているのがわかった。


その老人は物腰が柔らかそうだが、どこか威厳も感じさせる雰囲気だ。
かつて働いていた頃は重要なポジションに就いていたのだろう。


「あのじいさんに聞いてみよう。」

 

芳夫はそう思い立ったが、門の前に石段がある。

車椅子から立って歩いて聞きに行こうかと思ったが、そうすれば足が悪くないのにふざけて車椅子に乗っていることがばれて、ひどく叱られるかもしれない。

 

老人は芳夫をじっとみている。


芳夫は汗だくになりながらも、車椅子に座ったままで足で踏ん張ったり、腕の力も使ったりしながら、強引に車椅子で石段を上った。

 

「いてえ。」
掌に激痛が走る。

右手の中指と薬指の付け根の皮膚が破れて血がにじんだ。
やっとの思いで車椅子で石段を登り終えた。

 

「じっと見てるんなら助けてくれてもいいのに。」
芳夫は一人毒づきながら、老人のところまで車椅子を転がす。


「じいさん。道に迷ってしまって」
「あら。そうかね。今日は涼しくて過ごしやすいのう。」

芳夫は、質問を強引に遮られてムッとしながらももう一度聞いてみる。
「あのですね、花火大会が今日あるかと」
「あら、そうかね。明日はまた暑くなるそうじゃ。堪えるのう。」


この老人はボケているのか。
そういえば老人の視線に違和感を感じる。

こちらを見て話してはいるのだが、芳夫を見ているというより、
芳夫の体を通り越してその先の地面を見ながら喋ってきているような
そんな違和感を感じるのだ。


違和感を感じながらも、もう一度聞いてみる。

「いやじいさん。話を聞けって。ここはいったい、」
「あら。そうかね。今日は涼しくて過ごしやすいのう。」


また遮られた。


障子が開けっぱなしになってあるじいさんの家の中に視線をやると
壁掛け時計が目に入った。

 

7時45分。

なんだ、まだ15分あるのか。